8月19日 第113回目のスタンディングを行いました。
残暑が厳しい中でしたが 17人の参加しました。
マイクを使って地域の皆さんや通行中のドライバーの皆さんに呼びかけを行いました。
8月15日、今年も 78回目の「終戦の日」がやってきました。
改めて 平和への思いを強くされてたことと思います。
自民党をはじめとする 政権は、北朝鮮や中国の動き、そしてロシアのウクライナ侵攻 などを最大限利用し、戦争への準備を着実に整えています。
国民の多くは、この世界情勢なら、武器を持つことも戦争することも仕方ないんじゃないか、と思っているかもしれません。
しかし、戦争を体験した人は絶対にそうは言いません。戦争の本当の恐ろしさを知らないから、そんなのんきなことが言えるんだと言います。
原爆投下の8月6日・9日から、終戦の8月15日まで、テレビ番組や新聞報道で、様々な体験記 などが報道されました。
信濃毎日新聞では、「731部隊」の特集が組まれました。「731部隊」というのは、満州で細菌兵器 開発 や人体実験などの虐待行為を実行した部隊です。
これは戦争犯罪ですから、戦後、軍は証拠を徹底的に 隠滅し、隊員にも口外することを固く禁じました。そのために 長らくその実態が明らかになることはありませんでしたが、長い年月が経つうちに、 忘れ去られる 記憶に反し、少しずつ その実態が語られることとなりました。
●捕虜が収容されている 監獄から立ち上がる 煙を見た。翌朝 、上官の命令で、殺害後に折り重なって焼かれた 20〜30人分の捕虜の骨を一つ一つ手で拾い、麻袋に入れた。午後には、監獄の各部屋に爆弾を設置した。部屋の壁には 捕虜が死の間際に自分の血で書いたとみられる、ロシア語や中国語の言葉が残されていた。「なぜ殺す必要があったのか。この時期になるとやっぱり思い出すね。」
●元 隊員は、戦争犯罪を問われることなく、日本に復帰。しかし、酒を飲むと 「俺は捕虜を全部焼き殺した」「飛行機から細菌爆弾を投下した」と仲間と 得意げに語り合ったそうです。
しかし 、6年も経つと、モルヒネを打ち、毎晩酒を浴びるように飲むようになった。やがて自宅で首をつり命を絶った。
●反日活動をしていたとして 憲兵隊が捕らえた中国人やロシア人らの捕虜を「マルタ」 と呼ぶ被験者として、冬の深夜に屋外で手を水で濡らして放置する凍傷実験や、ぺストやコレラなどに感染させ、死亡するまでの経過を観察するなどした。
●今の世の中、このような 証言をするのも命がけです。インターネットでは、証言に対し、「このジジイ、嘘(うそ)ついてやがる。か、実在しない人物だな」「小学校しか出てないガキが、『見習い 技術員』だ?デタラメもいい加減にしろ」などと書き込まれます。中には 脅迫 めいたものもあらわれます。
※別の新聞では、証言 「戦争」という記事で、人間が戦場という土壇場でどうなるかについて記述していました。
〇敵の砲撃を受けた隊員は、手足がもげ、内臓が出ていた。隊員は、「俺には妻も子供もいる助けてくれ」と頼みましたが、医者はおらず、結局は何の処置もされず庭に放置されたまま翌日にはなくなっていたそうです。
〇また、隊員は、ジャングルにへびやカエルなどの食べ物を探しに行くと、ジャングルに潜んでいる日本兵に襲われ、物資が奪われたそうです。人の肉を食べる行為も横行していたそうです。生きるためには何でもありで、人間が人間でなくなる 極限状態だったと言います。
※これからも 常に、平和を守るために何が必要か、皆さんと共に考えていきたいと思います。